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企業交流委員会 情報交換会
熱海 旧日向別邸・起雲閣 見学会 3月9日(土)

3月9日(土)  参加人数 8名

企業交流委員会ではメンバー間の情報交換と懇親を兼ねた情報交換会も開催しており、今回は熱海の歴史的名建築を巡るツアーを報告します。

ブルーノ・タウトの内装設計作品 旧日向別邸

東京では二度目の積雪が観測された翌日、打って変わって早春日和となったこの日、歴史的名建築を巡る見学会が開催されました。一行が最初に向かったのは、南甲倶楽部・芳井会長にご推挙いただいた旧日向家熱海別邸です。これは、実業家・日向利兵衛氏の別邸として1936年相模灘が一望できるロケーションに建てられた国の重要文化財に指定される建築物です。その特徴は、急傾斜地ゆえに木造2階建ての母屋前に土留めを兼ねた鉄筋コンクリート造りの地下室が造られ、その屋上を庭園とする工夫が施されています。この地下室の内装設計を手掛けたのが世界的なドイツ人建築家ブルーノ・タウトであり、日本に現存する唯一のタウト作品となったことで、まさにこの地下室が2006年7月に国の重要文化財の指定を受ける所以となりました。地下室は、竹や桐といった和材が随所に用いられた“社交室”、海の眺望を確保するために意図的に造作された階段やワインレッドに染色された絹の貼壁が印象的な“洋風客間”に続き、仕切られた空間でありながら隣室としての調和が重んじられた“日本間”や“ベランダ”から構成され、日本の建築美を強く意識したタウトの思想が感じられる設計・配置となっています。とても熱心なご説明をいただいたガイド役の方からは、母屋の設計も実は近代日本建築の巨匠・渡辺仁によるもので個人邸宅としては希なる作品であること、かの“ブラタモリ”のロケ地にも選ばれたこと等々、決してパンフレット等には書かれていない数々のエピソードも披露されました。

とりわけ深く印象に残ったのは、タウトの作品に心惹かれた施主である日向氏の熱意に応えるべくタウトが協力を要請したのが、逓信省気鋭の建築家であった吉田鉄郎であり、その設計思想に基づいて実際の造作を指導したのが、吉田と同郷であった宮大工棟梁・佐々木嘉平と、知られざる名工たちの合作によりこの名建築が生まれたこと、そして民間企業の保養所となったのち取り壊しの危機に直面した際に救いの手を差し延べたのが、名建築を愛する東京在住の女性篤志家の方であったこと・・・つまり、多くの方々の思いが紡がれた結果、我々が今、この貴重な作品を観ることが出来たということでした。

熱海三大別荘の一つ 起雲閣

続いて一行が訪れたのは、岩崎別荘・住友別荘と並んで「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる「起雲閣」です。”海運王”として名を馳せ、政・財界で活躍した内田信也氏が実母の静養場所として1919年に建てた別荘部分が現存する和館 “麒麟・大鳳の棟” “孔雀の棟”として残されています。1925年に昭和の“鉄道王”根津嘉一郎氏が内田氏より土地・建物を取得すると、根津氏の別邸として手が加わり1929年洋館 “金剛”と緑豊かな庭園が完成します。格調高い迎賓館 “金剛”には、甘美な趣をたたえる“ローマ風浴室”が備え付けられるなど、かつての栄華を今に伝える最も印象的な建物となりました。その後、1932年に日本の神社や寺に見られる建築的特徴を持ちつつも中国的な装飾やアールデコ様式を取り入れた洋館 “玉姫(たまひめ)”と中世英国のチューダー様式を用いた “玉渓(ぎょっけい)”が増築されますが、12年後の1944年に根津家がこの別邸を手放すことになります。これを1947年に取得したのが、金沢・湯涌温泉でのホテル経営で財をなし、戦後アメリカ進駐軍に接収されたため、熱海での開業を模索していた実業家・政治家の桜井兵五郎でした。「起雲閣」の名は、この旅館時代に命名されたものとなります。1949年の“金剛の棟”の改築を手始めに、 “音楽サロンの棟” “展示室の棟” “企画展示室” 等々が断続的に新築され現在に至っています。

旅館としての「起雲閣」は、観光メッカ熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎えましたが、とりわけ志賀直哉・谷崎潤一郎・太宰治といった日本を代表する文豪たちに愛されたことでも有名です。日本建築の美しさを纏った本館(和館)と離れ、日本・中国・欧州各国の装飾や様式美を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館に加えて、緑豊かな庭園が調和して優美な気品を醸し出している名建築といえます。旅館時代にBARとして使われていたスペース「喫茶やすらぎ」で戴いた抹茶と和菓子は気品溢れる雰囲気も相まって格別なものでした。

その後、熱海駅に戻った一行は、伊東魚市場に水揚げされたばかりの海鮮に舌鼓を打ちながらの情報交換を行い、解散となりました。

(企業交流委員 清水英樹)

企業交流委員会 見学会実施報告
JFEスチール㈱・東日本製鉄所(千葉地区)見学会 12月6日(水)

企業交流委員会 見学会実施報告
JFEスチール㈱・東日本製鉄所(千葉地区)見学会
2023 年12 月6 日(水) 参加人数:25 名

報告:企業交流委員会 塚越公志

 企業交流委員会企画の製鉄所の見学会の内容につき、ご報告させて頂きます。
 個人的には小学生時代の社会科見学前のわくわく感が再現されたような状況で、当日参加させて頂くことになりました。

戦後初めての銑鋼一貫型臨海製鉄所

 見学会は、天気にも恵まれ、御茶ノ水駅から大型バスで出発し、片道1 時間15 分程度で蘇我駅近くの現地に到着。早々に、ご担当の方からのビデオを交えて全体概要説明を頂いたのちに、再度、バスでの工場内の移動となりました。製鉄所の敷地は、縦3 ㎞、横3 ㎞、総面積766 万㎡(230 万坪)となり、なんと東京ドームの165 倍の敷地面積を有するため、見学センターから、中心部の溶鉱炉まで、車で15 分程度とかかります。バスで移動中の工場内には、溶鉱炉、ガス貯蔵タンクなどの外観はもちろん、様々な用途がある車も行き来しており、これだけでもなかなか見ごたえがあるものでした。
 実際にヘルメット・ジャケット・軍手等を着用の上、工場内に入り、溶鉱炉で溶かされた1600℃の鉄が、製鋼工場からスタートし、熱間圧延工場を経て、順次、車などで使われるステンレス鋼板などに様変わりする様子を目の前で見させて頂くことが出来ました。当日の外気温は10 度前後でしたが、ドロドロに溶かされた鉄が冷やされていく過程に立ち会うだけでもその熱気で汗が止まらない状況で、これが真夏になると、体感温度は40℃を超すとのことですから、過酷な環境下で日夜業務に従事されていることを実感しました。
 振り返るに、この工場は1953 年から本格稼働を始めた銑鋼一貫製鉄所であり、工場の説明を頂いた方からも、自分たちの仕事に対する誇りと充実感が伝わってくるものであり、その後ろ姿は、正に「鉄は国家なり」を体現されたような一面が見受けられました。

  東日本製鉄所の全体模型
  概要説明の様子

溶鉱炉外観(JFE ホームページより)
第3熱間圧延工場(JFE ホームページより)

世界最先端のテクノロジーと持続可能でクリーンな製鉄所

 また、個別の印象としては、機械化、自動化が相当進んでおり、いらっしゃる従業員の人数が、広大な敷地面積、業務量に比較して、少ないことにも驚きました。さらには、環境に配慮した取り組みにも積極的であり、溶鉱炉自体も最新鋭の高炉になっており、製鋼プロセスでのスクラップの利用拡大による二酸化炭素(Co2)の排出削減に努めるとともに工場内のエネルギーの循環が施されるように工夫されておりました。
 行政との良好な関係も構築されており、隣接する商業施設、千葉市のスポーツ公園との調和がなされ、地域住民の方々からも愛される素晴らしい工場でありました。そのことは、地域の皆様からの工場見学を精力的に受入れ、工場見学後の小学生たちからのお礼の手紙等が展示されていることからも納得できるものでした。
 なお、17 時からは、近くの蘇我駅に移動し、恒例の懇親会も飲み放題つきのコースで、南甲倶楽部の仲間との懇親を深めさせて頂くことができ、充実した一日となりました。

  見学センターでの集合写真

企業交流委員会では今後も面白い企画が

 懇切丁寧な説明を頂きましたことを感謝申し上げます。また今回の企画は、企業交流委員会の鈴木副委員⾧が、大成建設時代のネットワークを利用して実施頂いたものであり、さらに、御茶ノ水駅から東日本製鉄所までの往復の大型バスの手配は、両総観光㈱の川島社⾧にお力添えを頂きました。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。
 今回同様、面白いセミナー・見学会等が、今後とも企業交流委員会にて実施されるので、是非とも、気軽に参加下さいませ。初めての方々も大歓迎です。

企業交流委員会 情報交換会 8月21日(月)

国立競技場スタジアムツアー

国立競技場スタジアム01

日本スポーツ振興センターホームページより

企業交流委員会はメンバー間の情報交換と懇親を兼ねた情報交換会を8月21日(月)に開催しました。今回は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のメイン会場となった国立競技場スタジアムツアーで、参加者は井上均委員長他の11名。

国立競技場の遍歴
大正時代、明治天皇を祀る神宮として代々木に内苑、青山に外苑が造られました。その際、外苑は欧米式の公園と総合競技場を備えるものとし、1924年(大正13)東洋一の本格的陸上競技場となる明治神宮外苑競技場が完成しました。
その後この競技場を取り壊し、1958年のアジア大会のメイン会場として国立競技場が新設され、1964年には東京オリンピック大会の開会式に使用されました。
2012年、東京オリ・パラ招致委員会が東京2020大会に向けたスタジアムの建て替えを決定し、設計国際コンペによってイラク出身のザハ・ハディド案が採用されましたが、工事費と工期の大幅超過問題が発生し、2015年に白紙化。
改めて工期短縮と工事費抑制を目的として、デザインビルトの公募型プロポーザル方式により、大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JVが選定されました。
設計1年、工事3年の工期を経て、2019年11月に新しい国立競技場が建設費1,569億円で完成し、2021年7月に第32回オリンピック大会のメイン会場として使用されました。

国立競技場スタジアム02

(独)日本スポーツ振興センターホームページより

スタジアムツアー
東京2020大会のレガシーをアスリート気分で体験できるのがこのツアー。
先ずは1階の入場口から入り、選手達のサインウォールを眺めつつ、インタビューゾーンで聖火トーチやロッカールームを見学。金メダルを取った気分でカメラに向かってビクトリーサインを楽しんでいると、後ろで外人の紳士がじっと佇んでいるのが気になり近くに寄ってみたら、サッカー日本代表の監督を務めたザッケローニ氏の精巧な蝋人形だったのにびっくり。
選手控室からは大地をイメージした赤茶色のトラックと天然芝のフィールドへと続きますが、3層のスタンドと60mの大屋根の迫力に圧倒されます。観客からの大声援を受けたら好記録が出るのも分かります。ただ我々は、暑いのと設置してあったハードル1,067mmの高さに気落ちして、短距離競争は残念ながら諦めました…。

国立競技場スタジアム03
国立競技場スタジアム04
国立競技場スタジアム05

その後スタンドの観客席を通り、4階の展望エリアへ。どの席からもトラックが間近に見え、68,000人を収容する大スタジアムが案外コンパクトに感じられました。軒庇には47都道府県から集められた国産木材が活用されており、それぞれの産地の方位に配置してあるそうな。最後に、親切な係員の方に記念写真を撮ってもらいました。

尚、このスタジアムツアーは一般公開されており興味のある方は「国立競技場スタジアムツアー」の Webサイトへ。
ツアー終了後、喉が渇いた我々は近くの「森のビヤガーデン」で懇親会を開催しました。

国立競技場スタジアム06
国立競技場スタジアム07

企業交流委員会 副委員長 鈴木浩(記)

企業交流委員会情報交換会 3月25日

企業交流委員会ではメンバーの情報交換と親睦をかねて、情報交換会を開催しています。今回は、ちょっと趣向をかえて落語の独演会に参加後、懇親会を行いました。

3月25日(土)新橋の内幸町ホールにて、三遊亭竜楽師匠の独演会に参加後、懇親会を行いました。週末の開催でしたが、6名のメンバーが参加しました。

三遊亭竜楽師匠は昭和57年に法学部を卒業しました。古典落語のほか、英語、フランス語、イタリア語など8か国語落語家としても知られています。

当日は、「不動坊火焔」と「百年目」という古典落語の演題を楽しんだのち、竜楽師匠を囲む懇親会に参加。メンバーだけでなく、竜楽師匠のファンの方々とも交流をいたしました。

企業交流委員会 ANA 機体工場見学会 ~Blue Hangar Tour~ 3 月 10 日

3月 10 日、東京羽田の ANA コンポーネントメンテナンスビルにて、ANA グループの安全運航を支える ANA 機体工場の見学会が 40 名の参加により開催されました。ご協力頂いた南甲倶楽部会員である梶田恵美子全日本空輸(株)取締役常務執行役員から初めにご挨拶を頂いた後、整備センターの池永亮様より ANA グループの整備部門(e.TEAM ANA)について説明がありました。

井上企業交流委員長の挨拶
梶田 ANA 取締役(南甲倶楽部会員)の挨拶

妥協を許さない安全を創る文化

機体整備は、事前に実施する定例整備、壊れたら実施する非定例整備、特別作業の3つに分類されており、ドッグ整備、ライン整備、エンジン整備、装備品整備、整備サポートの各部門が協力して、以下の3つの文化による人づくりを進め、絶対に妥協を許さない姿勢で安全を創る取り組みが行われていることが良く分かりました。

①安全品質を優先する文化:グループ全役職員に安全教育センター(事故機体の一部を展示)での教育、航空機からの緊急脱出研修を実施。整備部門では、安全体感教育(安全帯にぶら下がる体験など)、ヒヤリハット活動を実施。

②アサーション文化:アサーションとは、当初機⾧と副操縦士間のコミュニケーションに於いて行われたもの。現在では上司・部下の関係(権威勾配)を超えた相互コミュニケーションにより、気づきを伝え安全のレベルを上げる取り組みをグループ全体で実施。

③KAIZEN する文化:TAKO(e.Team ANA Knowledge Operation)という現場の気づきを発信してスタッフが組織的な改善につなげ組織全体のナレッジとして共有できる仕組み。eTPS(トヨタ・プロダクション・システム)による現地現物を重視した改善活動の実施。これらの取り組みの結果、1971 年を最後に 50 年以上死亡事故は発生しておらず、国内線の定時出発率(整備事由による 16 分以上の遅発欠航率)を 99.7%以上との説明がありました。1952 年に日本初の純民間航空会社である日本ヘリコプター輸送(後の ANA)として 2 機のヘリコプターでスタートを切った時代から変わらない安心安全への取り組みについて理解が深まるとともに、その凄さを実感しました。

スケールの大きさに圧倒された格納庫

とても有意義な全体説明の後、いよいよ格納庫の見学となりました。格納庫では、3 機の機体が整備されていましたが、我々、見学者は上層階から見学した後、地上階におりて機体の側まで近づくことができ、そのスケールの大きさに圧倒されました。特に航空機の心臓部であるエンジン構造の見学など、大変貴重な経験をすることが出来ました。一方、整備工具の保管場所での説明では、「小さな整備工具が一つでも見当たらない場合は、その日の整備作業は終了しない」との話を伺い、ANA グループの安全管理の徹底について、再認識しました。

今回の見学会では ANA 整備センター整備業務部の蟹江部⾧様他のきめ細かな準備・対応にもお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

見学会終了後は、羽田エクセルホテル東急で懇親会を開催し、見学会の話題で大変盛り上がり会員相互の懇親をより一層深めることが出来ました。

企業交流委員会では、今後とも各種見学会を開催してまいります。会員の皆様のご参加をお待ちしております。

企業交流委員会委員 横瀬達也(文)、黒川真俊(写真)

企業交流委員会 全体会議 1月26日

企業交流委員会の全体会議が1月26日、18時より一ツ橋ビル4階会議室にて開催されました。芳井敬一専務理事にも参加頂き、15名の出席者によって活動実施報告や今後の計画等につき熱心な討議が行われました。

2019年度までは流通産業・建設/製造・金融の3部会でそれぞれ独自に活動してきましたが、2020年度以降は部会制を取り止め、以下の3つを新たな活動の柱としています。①南甲倶楽部会員全員に対するセミナー、同じく全員に対する②見学会③委員会メンバー同士の情報交換会の3つです。

全体会議では、過去3年間の活動実施報告と総括を行った後、今後に向けた3つの柱の活動計画では多種多様なアイデアが数多く交わされました。この議論を基に、皆様へ更に充実したセミナー・見学会等を提供していく予定です。あくまでもリアル・対面にこだわった企業交流委員会の活動にご期待ください。

なお、会議の後はメンバー同士の情報交換会として、早速隣のビルの中華料理店に移動し、夜遅くまで親睦を深めたのは言うまでもありません。


企業交流委員会 副委員長 鈴木 浩

企業交流委員会 金融セミナー 11月29日(火)

 「金融セミナー」が、参加人数を制限するなどコロナ感染防止対策を確り執り、2022年11月29日(火)18時より、一ツ橋ビル4階会議室にて金融セミナーが開催されました。

日時 2022年11月29日(火) 18時―19時30分
テーマ「コロナ禍で注目された金融機関と今後の在り方」
講師 川崎信用金庫 理事長 堤 和也氏/中央大学商学部 昭和62年卒業、南甲倶楽部会員


 企業交流委員会主催の金融セミナーは、「コロナ禍で注目された金融機関と今後の在り方」と題して川崎信用金庫 理事長 堤和也氏をお招きして開催されました。 締めの挨拶は芳井専務理事より頂き、閉会後は活発な名刺交換が行われました。ここではご来場が叶わなかった方へ講演内容の一部をお伝えさせて頂きます。

金融機関の経営環境・川崎市について


 昭和62年と令和4年を比べるとメガバンク、第2地銀、信金の数は大幅に減少しており再編が進んでいる一方で地方銀行はほとんど数が変わっていない。一方で政府による金融機関の合併促進策(特例法・補助金・優遇金利)により地銀の合従連衡も進みつつある。コロナ禍でネット銀行が台頭していることなどから、金融機関の経営環境が急変している。雑誌などでAIにより10年後に無くなってしまう職業に「銀行窓口係」がランキングされるなど産業としての金融機関の未来は必ずしも明るくはない。

 川崎市は全国の自治体で人口が減少する中で、住民が増加しており生産年齢も多く神奈川県をけん引している。ハンバーガーに例えると、東京というバンズと横浜というバンズに挟まれた一番おいしいミート!それが川崎であると説明している。川崎の基幹産業は現在も工業であるが、産業構造は様変わりしている。従来は総生産の約6割を工業が占めていたが現在は50%以下に低下しつつあり、代わって不動産賃貸業やサービス業が上昇している。特に不動産業は2倍以上に成長しており神奈川県の箱もの(賃貸物件)の空室率は全国で3番目に低く、川崎市は神奈川県の平均よりも低い。つまり川崎市の不動産物件の稼働率は高く、不動産賃貸業は川崎市の重要・有望な産業となっている。

住民・企業・行政が一体となっての川崎イメージの180度転換


 川崎フロンターレ、ミューザ川崎(音楽ホール)、岡本太郎美術館や藤子不二雄ミュージアム、新百合ヶ丘や武蔵小杉の発展などの影響もあり、現在は「音楽・芸術・スポーツの街」の明るいイメージが定着しつつある川崎市だが、過去は「公害とギャンブルと風俗」の印象が強かった。映画「ゴジラ対ヘドラ」の舞台として取り上げられたり、ヴェルディ川崎も東京へ去り大洋ホエールズも横浜へ移転するなどスポーツや文化が定着しないと言われたりと苦い思い出もある。

 現在の川崎市があるのは、重厚長大産業に安んずることなく「住民・企業・行政」が一体となって取り組んだ成果と理解している。ここではそのような取り組みの一部を披露したい。

【川崎モデル】
 川崎市には「川崎モデル」と呼ばれる中小企業支援の取り組みがある。東芝や富士通、日立製作所などの大企業が保有する開放特許を市役所や市の財団が仲立ちとなり中小企業による活用を促している。中小企業は大企業の優れておりかつ安全な特許を安価に活用でき、大企業も発明の対価を受け取れるほか社員のモチベーション向上にも貢献している。
 川崎モデルは宮崎県、長野県岡谷市など、他の自治体も共に取り組む広域連携へ発展しており、ますますプレゼンスを発揮している。

【出張キャラバン隊】
 市役所と信用金庫がキャラバンを組み窓口に来られない市民の元へ訪問し相談や申請を受け付ける。川崎市では「おせっかい」と「えこひいき」を良しとしておりニーズのあるところには呼ばれなくても出かけていく活動を行っている。お役所的な考えからは公平でないとか、なぜ川崎信金なんだという声もあがるものと思われるが官民が一体となって取り組んで大きな成果が上がっている好事例である。

【川崎じもと応援券】
 新型コロナに対する経済対策として2020年に「川崎じもと応援券」が発売された。第1弾は購入額の30%のプレミアムを付与し市民にも地元企業にも資する施策であったが、準備不足もあり応援券を使えるお店が少なく浸透しなかった。かかる状況を受けて川崎信金では、渉外係の融資や預金の目標を一時的に全廃し、川崎じもと応援券の拡販と使用可能店舗の開拓に注力した。川崎信金としては応援券から収益は生まないものの地域が活性化し川崎市が発展すればよいとの判断。結果、直近では2022年に発売された第3弾も完売するなど大いに普及が進んでいる。

【川崎市出張窓口の開設】
 川崎市は南部、中部、北部のエリアに分かれるが、北部には川崎市役所の窓口がなかった。川崎信金では店舗のフリースペースを提供、市役所は人材を派遣し北部に出張窓口を開設した。北部は農村部であったが元々行政サービスへのニーズはあるが窓口に足を運べない環境であったと思われ、ふたを開けたら最も相談数の多い出張所となっている。

今後の金融機関の在り方・川崎信金の強み

 小企業であり経理担当の専門部署を有していない小規模企業が多い。信用金庫の最大のストロングポイントはFace to Face、お客さまへの近さであると考えており社会を支える重要な役割がある。また、日本人のDNAに、GNN(義理と人情と浪花節)がある限り信用金庫は無くならない(笑)。

【信用金庫と銀行との違い・川崎信金の強み】
 信用金庫には銀行には無い協同組織性、地域金融機関性、中小企業専門性がある。株式会社である銀行にはできない利益第一主義ではなく地域社会の利益を優先した活動が可能であることが信用金庫の強み。

 川崎信金はコロナ禍で行われたいわゆる「ゼロゼロ融資」(無担保・無利子)の市内シェア70%。事業再構築補助金の申請承認件数は、神奈川県内のトップを誇っている。今後更に川崎信金ではコンサルタント業、お客さまの本業支援に力を入れ存在価値を発揮したいと考えている。銀行とは違う地域社会優先、顧客優先の姿勢を有する川崎信金はこれからも顧客に親しまれ求められるものと思う。

 2023年川崎信金は100周年を迎えるが周年を記念し百合丘に職員寮・社員寮を建設するなど各種周年イベントで地域を盛り上げていく。川崎市にお住いの会員の方、川崎信金のご愛顧をよろしくお願いしたい。

企業交流員会 委員 井上馨

企業交流委員会 キックオフ会 9月29日(木)

 企業交流委員会は今年度新たなメンバーが4名加わり、芳井敬一専務理事とメンバー26名の陣容で活動していきます。
 その新たなスタートとして、9月29日「銀座の金沢」で15名の参加によりキックオフ会を開催致しました。このお店は中大OB(1990年卒)の原誠志社長が経営しており、金沢の旬を盛り込んだ加賀料理と金沢の地酒が堪能でき、また金沢ならではの伝統工芸ギャラリーも併設されています。
 美味しい料理と地酒で酔いしれながら、今後の委員会活動への抱負を語り合い、メンバー内のツイッターリレーの話題に会話が膨らむなど、メンバー同士の交流を大いに深めた次第です。

 既に南甲倶楽部会員の皆様にご案内している通り、今年度は2022年11月29日(火)に川崎信用金庫・堤和也理事長(1987年卒)による金融セミナー、2023年3月10日(金)にはANA整備工場見学会を開催します。
 あくまでもリアル・対面にこだわった企業交流委員会のイベントに、皆様、奮ってご参加下さい。

(企業交流委員会 副委員長 鈴木 浩)

企業交流委員会 情報交換会 9月20日(火)

内閣府迎賓館ウェブサイト(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/)より

国宝 迎賓館赤坂離宮見学会

 企業交流委員会は、倶楽部会員の皆様のお役に立つ情報を提供する為に、各種セミナーや見学会を開催しています。また一方、委員会メンバー同士のコミュニケーションを更に向上させる「情報交換会」の場として、ミニ見学会や懇親会・ツイッターリレー等の活動も行っています。

 今回はその「情報交換会」の一環として、2022年9月20日、委員会メンバーと事務局の9名で「国宝 迎賓館赤坂離宮」を見学してきました。赤坂離宮は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった場所に、明治42(1909)年、東宮御所として建造された日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿です。戦後は国に移管され、昭和49(1974)年に迎賓館として蘇り、現在は世界各国から賓客をお迎えする外交の舞台となっています。
 建物の屋根には鎧武者や霊鳥など日本的な意匠も施されていました。また本館内部は朝日の間・花鳥の間など格式のある豪華で繊細な内装に圧倒されました。

 赤坂離宮は一般公開されており、特に「本館・庭園」に「和風別館」を加えた見学会は大変人気があります。皆様も機会があれば赤坂離宮のホームページから見学を申し込まれては如何でしょうか。

 見学会の後は、四ツ谷のしんみち通りで懇親会を開き、中大時代の思い出や時事問題など広く深いコミュニケーションの貴重な場となりました。

(企業交流委員会 副委員長 鈴木 浩)

企業交流委員会金融セミナー 第2回 5月23日(月)

知っておきたい民事信託(家族信託)の基礎知識

中央大学研究開発機構教授 博士(法学)
八谷 博喜 氏

 金融セミナーは、「知っておきたい民事信託(家族信託)の基礎知識」と題して、三井住友信託銀行専門理事の八谷博喜氏をお招きして開催されました。身近な認知症対策としてのテーマということもあり、24名の会員が参加。今回のセミナーの関心度の高さがうかがえました。


 はじめに、芳井敬一専務理事、続いて三井住友信託銀行常務執行役員中野俊彰氏よりご挨拶、その後、八谷氏から講演いただきました。

芳井敬一専務理事

 高齢化が進む日本の社会環境や、認知機能に問題のある高齢者の財産管理が社会問題となりつつあること、そのような環境下で信頼できる家族などに後見的な財産の管理を任すことのできる「民事信託」の活用が注目を浴びている
状況であることを、わかりやすく説明いただきました。

 次に、成年後見制度や代理制度と対比しつつ、民事信託の特徴や機能の説明がありました。民事信託によって財産の名義は委託者から受託者に移転され、委託者の判断能力が低下後も、信託契約に沿って受託者の名義で管理・処分されること。また、亡くなった後の資産承継について次の次の承継者を指定できるなど、遺言では実現できない機能を持たせることができる(遺言では次の代への承継しか指定できない)などの信託の特徴および機能(有用性)の解説がありました。
 加えて、信託財産は、独立性があるため、受託者の相続財産とはならず、倒産隔離機能があり、相殺・差押えの対象にならないことなどの具体的な機能について詳しい説明がありました。しかし、民事信託は非常に強い制度であるため、家族受託者には信認および自覚が必要であること、複数不動産間での損益通算ができなくなること、弁護士等法律専門家の関与の必要性や組成コスト(監督がある時は監督人費用)がかかることなどのデメリットについても詳しく説明いただきました。

最後に具体的な事例や導入に当たっての専門家との相談手順についての説明もあり、受講者は具体的なイメージを持つことができたのではないかと思います。

締めの挨拶は、井上均企業交流委員長が行い、閉会となりました。その後、活発な名刺交換が行われたことはご推察の通りです。

井上均企業交流委員長

セミナー終了後に行われる懇親会は、コロナ禍の感染防止に配慮し、残念ながら行わずに解散しました。講師ならびに会員相互間の交流をもっと図りたかったとの思いがありました。早くコロナ禍が収束することを願う気持ちを強くするものとなりました。
(企業交流副委員長 坂間 明彦)

企業交流副委員長 坂間 明彦 氏